カテゴリ: 青函連絡船(一般)

つい先日四国に曳航された羊蹄丸もあっという間に一般公開期間が終了して
7月には新居浜を離れて最終目的地、解体地の多度津へ向かうことになりました。
 
短い間にもかかわらず期間中、6万人の来場者があったそうです。
 
しかし日本人って最後とか限定とか好きだねぇ…
八甲田丸とか摩周丸もこれだけ賑わえばもっと状況が変わると思うのですが…
 
愚痴はさておき、羊蹄丸の解体は船舶解体専門専門業者である香川県多度津町の
株式会社宮地サルベージで実施のことです。

香川県仲多度郡多度津町堀江五丁目7番地
 
船内に残されたもののうち、青函ワールドの青森のジオラマ風景はねぶた祭りが終わった後で
一部が八甲田丸に移設されることが決まった他は多度津での解体、ということになりそうです。
車両甲板の旧型客車「スハフ44 25」はオークション価格1200万円という価格にもかかわらず
幾つかの団体から引き取り交渉があった模様です。
 
研究と言うよりもかなりビジネスライクにさくっと鉄くずにされちゃうような感じですね・・・
新居浜で現地引取してくれるところに取り外せる備品を売却した後は一括スクラップ、でしょうね。
 
写真はバングラディシュ・チッタゴンの海岸で人力解体されている旧・十和田丸。
解体場に来てから4年ほど経ちましたが、上部構造はほとんど解体済みですね。
船底部分はまだまだ解体に時間が掛かりそうな感じです。
イメージ 1
 

 

「最後の青函連絡船」9月で展示終了…東京・船の科学館

船の科学館は今後、宗谷一本で行くようです。
 
羊蹄丸の新たな保管場所を探すにしても受け入れる場所は・・・
八甲田、摩周に比べて状態が比較的良好な船だけに引き取り手が見つかってほしいです。
 
 

イメージ 1

函館に繋留されている摩周丸の来春からの指定管理者候補が
「語りつぐ青函連絡船の会」に決まったようです。

◆指定管理者候補者の選定結果について
http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/soumu/gyokaku/kanri/koubotou/kekka/191102masyu_kekka.pdf




思えば3年間、車展示館のオマケ扱いでロクに手入れもイベントもして貰えなかった
不遇の時でしたが、来春からは連絡船を知り尽くした方々の手によって摩周丸の再生が
始まることを期待しています。


・・・と、外野からの見たような言い方ですが、「語りつぐ青函連絡船の会」賛助会員として
ささやかではありますが協力出来る点ではやっていきたいと考えております。

イメージ 1

作詞家、阿久悠氏が去る1日逝去された。
彼の作詞した曲は5000曲にも及ぶ膨大な物だが、その中でも未だ歌い継がれ
彼の作詞した曲の中で最も歌われている曲、それが『津軽海峡・冬景色』である。
(出典:カラオケJOYSOUND 2007年上半期 阿久悠作詞曲 TOP20より)

1988年3月13日夕刻、函館港を出港した青函連絡船22便羊蹄丸の船上で
別れを惜しむファンの合唱でこの歌が歌われたという。


【権利団体の会員企業に所属する身としてはお仲間のカス、もといJASRAC様ににらまれたくないので歌詞はここでは割愛】


青函連絡船に関する歌と言えば真っ先にこの歌が出てくるほどの偉大な歌であるが
舞台が青森だけに竜飛崎と八甲田丸に2つも歌碑が建立されている。
そのうちのひとつ、青森桟橋跡地、八甲田丸前にある歌碑は歌が流れるというからくり付き。


この歌が出来てから30年。当時かなりの本数があった上野発の夜行列車は、新幹線の開業により
今や1本だけ。北へ帰る人の群れは空を飛び函館や千歳空港へ直行。
連絡船は今やその使命を終えているが、津軽海峡の冬の厳しさだけは歌が歌われた当時のままなのだろうか。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

今年も夏のイベントの時期がやって参りました。
基本的に青函連絡船関係のイベントは海の日に絡めやすい7月下旬か、終航記念の3月頃に集中するのが最近の傾向のようです。

連絡船関係イベントとしては
今日7/21,22に八甲田丸で八甲田丸港フェスタが開催されます。
また、昨年同様、函館・摩周丸、青森・八甲田丸、函館駅いるか文庫で「青函ジョイント夏フェスタ2007」が開催されます。
摩周丸は7月28日・29日、八甲田丸は、8月12日、いるか文庫は7月29日~8月20日の期間行われます。



(あと、私事ではありますが私自身「語り継ぐ青函連絡船の会」の会員のため、函館で7/28,29、青森で8/12に行われる「青函ジョイント夏フェスタ2007」にはスタッフ側としての参加になります)

↑このページのトップヘ