GWも最終日となりましたが、未だに雪の降る寒い北の大地では
桜も咲かず、まだまだ寒い日々です。
 
これまでの数ヶ月、茨城県内で戦車道を極めていたため(笑
ブログのほうがほったらかしになっていました。
 
大間航路には大函丸が就航しフェリー業界も新たな風が吹いていますが
今回の話題は解体されていた羊蹄丸の話。
 
昨年春に東京を離れ、一年近くに渡って多度津で解体されてきた
羊蹄丸の解体作業が 宇高連絡船愛好會 行事予定・活動報告
によると先月でほぼ完了した模様です。
 
 
写真を見る限り、完全に資源としてのスクラップといったところでしょうか
跡形もなく微塵にされてしまうともはや感傷もあったもんじゃないですね。
 
次世代への語り部としては八甲田丸・摩周丸がその役目を担うのでしょう。
 
青函連絡船はほとんどの船が海外へ売却・解体という運命をたどる中
国内で生涯を全うし、解体された船は意外と少なく、この30年の間では
山口県防府市の三田尻中関港で解体された空知丸(初代)や
函館どつくで解体された渡島丸(二代目)などがある程度です。
(※ほかにもあればぜひお知らせ下さい)
 

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お盆前から仕事で室蘭に滞在することが多かったので地元で見つけたこんな本の紹介でも。
 
北海道新聞社から今年の夏に発行された写真集「室蘭の記憶-写真で見る140年」です。
このサイトとどんな関係が、と思う人もいるでしょうが室蘭と青函連絡船とは
古くからの結びつきがあるところが結構多いのです。
 
室蘭本線の災害時には青函連絡船で室蘭への旅客・貨物の迂回航路が開設されたり
石炭を燃料とする船舶は室蘭で補給をすることもあったそうです。
(室蘭には崎守に石炭積み出し用の国鉄埠頭がありました)
函館ドッグも室蘭にありますので船舶の補修修繕を室蘭で行なっていたこともありました。
航路外周遊では室蘭への寄港も何度も行われています。
 
内容的には北海道新聞社編集によくありがちなキャプションミスや時代的な間違いが散見されます。
写真もほんの2枚程度青函連絡船が写り込んでいる程度(国鉄埠頭に係留中の十勝丸、
函館船渠で修繕中の宗谷丸)なので青函連絡船のためだけに購入とはいきませんが、
室蘭の郷土資料としてはこれまでにない充実したものであることは間違いないでしょう。
 
青函連絡船が周遊先で寄港した港は他にも釧路や小樽、八戸、宮古、仙台、秋田、酒田、東京晴海などが
あるのでそういった先々の郷土資料に在りし日の姿を追い求めていくのも今後の活動の一つなのかなと
思っていたりします。
 

船舶情報サイト(Equasis)の情報によると
8/28更新分で空知丸のステータスが「解体」となっていまいsた。
 
トルコに曳航されて8ヶ月、音沙汰が無いと思ってたら
どうやら復活の夢はかなわなかったようです。
 

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